マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕
「大三巴」が「三大巴」になってますね。結局、最終日まで、このままでした。

今年は異常なほどに大雨が降り続いていたマカオですが
やっと夏らしい日がやってきました。

マカオ世界遺産観光コースの定番スポット「o那o宅廟:ナーチャ廟:ナーチャッミュウ」ですが
この時期、普段とは違った姿を見せていました。

マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕1 マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕2

旧暦の5月18日を中心に、「o那o宅」の誕生祝いが行われる為に
「ナーチャ廟」の前には、竹で舞台が組まれ、大三巴(聖ポール天主堂)の横にも
竹で組まれた看板が建てられていました。

時間があったので、しばらく様子を見ていると、獅子がやってきました。
丁度居合わせた人が少なかった為、至近距離で迫力ある演技を見ることが出来ました。

マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕3 マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕4

マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕5

最後に爆竹の大音響と共に獅子舞が終わってから、一団が移動を始めたのですが
その時、小さな人形のようなものを運んでいるのに気が付きました。

マカオに夏がやって来た!o那o宅寶誕7
ご本尊と呼べばよいのでしょうか?「ナーチャ」の像です。

さっきまで、焼豚とともに廟の前においてあったのですが
まったく気が付きませんでした(汗)。

この後、一団と共にトラックに乗って移動していきました。
おそらく「媽閣」へ向かったのでしょうか。

まるで「o那o宅」が天気を回復させたかのような、すがすがしい一日でした。
マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」
マカオの歴史に、日本が密接に関係していることは
マカオに興味がある人以外には、あまり知られていないようです。

マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」1

マカオを代表する観光地の一つ、「聖パウロ教会(セント・ポール)跡」に残る
巨大なファザード「大三巴牌坊」の建造に、日本人が大きな役割を果たしたことは
マカオでも、広く認知されているとおもいます。(ファザードとは、建物の正面を指す)

マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」2

現在残っている「聖パウロ教会」の前壁が建造されたのが、1602年から1637年の間とされていて
その頃、日本で秀吉や家康に迫害されたキリスト教信者たちがマカオへ逃れてきたそうです。
そのマカオへ逃れた「天主教」信者たち住んでいたのが「聖パウロ教会」裏の「茨林圍」でした。

マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」3 マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」4 マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」5

その中に「芸術家」や「大工」などが居ることを知った教会は、
建設コスト削減のため「日本人」に建設への参加を依頼したと聞きました。

その後、1835年、「聖保禄教堂:大三巴」の(前身にあたる教会の火災とあわせて)3度目の火災の後
「茨林圍」の日本人は、澳門の中国人により、追い払われたそうです。

「茨林圍」の名前の由来についてですが、「茨」の文字は、「馬鈴薯」を指しているようです。
当時、ここで暮らしていた日本人が「馬鈴薯」を大量に栽培していた為、この名前が付いたと聞きました。
(「馬鈴茨」という言葉は、私の持っている辞典、辞典では、見当りませんでしたが、「茨林圍」のすぐ近くにある、私のお気に入りの茶餐廳「美満」にも「茨」が、頭に付くメニューがありました。)

ただし、中文字の意味をそのままポルトガル語に訳したためでしょうか、
ポルトガル語では「苦痛」や「棘」という意味の「ESPINHO」という名前が付けられています。
そのままでも、「茨林圍」が辿ってきた歴史を現している気がします。

マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」7

現在の「茨林圍」には、馬鈴薯も日本人が居たことを忍ばせるものはありませんが、
当時、ここに住んでいた日本人たちが、使っていたと伝えられる井戸が残っています。

何時の年代か不明ですが、マカオで何処かの井戸から細菌が検出されたのを受けて、
当時の衛生局が全ての湧き水、井戸水の使用を禁止したと聞きました。

マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」8

それが理由なのかどうかは不明ですが、現在、その井戸はコンクリートで硬く蓋を閉じられて
歴史の表舞台に出ることもなく、ひっそりと余生を過ごしています。

また、近代、マカオ・ポルトガル政府が「大三巴」を観光地化するにあたり
「茨林圍」の周りに壁を作って、外部と隔離したそうです。
そのため、内部には、現在のマカオとは少しかけ離れた雰囲気が漂っています。

マカオのキリシタンの記憶「茨林圍」9

気にしなくても良いのかも知れませんが、
外部の人間を歓迎するという様な雰囲気では無いようですので、
少人数、興味本位では、内部まで入っていかないことをお勧めしておきます。
(犬が多数放し飼いになっています。)


マカオの茶餐庁「美満o架o非」

マカオを訪れた観光客の間で「マカオのパンはおいしい」という
噂が広まっているようです。

マカオの茶餐庁(チャァチャンテン)にも、
パンメニューが充実している店が少なくありません。

そんな中で、管理人が日頃から利用している、
お勧めのお店が「美満o架o非室:メイムンガァフェイサッt」です。

マカオの茶餐庁「美満o架o非」4

他のマカオの茶餐庁に比べて、パン(食パン)が大きくて、厚く
サンドイッチ(三文治)の具も大きいので、
どのメニューを注文しても結構ボリュームがあります。

マカオの茶餐庁「美満o架o非」1

サンドイッチメニューの中で、特にお勧めなのが看板メニューともいえる
「順利三文治:ソンレイサムマンジィ」です。
茶餐庁のメニューには、お店の名前を付けた看板メニューが存在しますが
ここでは、「順利」を付け、メニューのトップグレードを表すようです。
サンドイッチのトップといえば、「公司三文治:クラブサンドイッチ」ですね。

マカオの茶餐庁「美満o架o非」2

一般的にマカオの茶餐庁では、具材に、薄切り豚肉を使用しますが、
「順利」では、「焼叉」を挟むのが特徴です。
具材のバランスも、見た目も美しく
食べても美味しくて、お腹いっぱいになること間違いなしの一品です。

マカオの茶餐庁「美満o架o非」3

古くて懐かしい、何処となく暖かい感じのするお店で
お店自慢の「熱(女乃)茶」と一緒に、午後茶を味わってみては如何ですか?

場所は、「連勝馬路」の「鏡湖病院」から「白鴿巣公園」へ向かう途中。
「鏡湖病院」寄りです。


マカオ街道案内
マカオお土産案内
マカオのカジノ&リゾートホテルで有名な「ポンテ16」ですが、
本日の主役はその隣「ポンテ16」のお話です。

マカオの旧埠頭「ポンテ16」
ポンテ16のシンボル「時計塔」

マカオの埠頭には、1番から番号が割り付けられていて
その内の12番から20番までを「十六浦」と呼び、
主にマカオ<>香港間を結ぶ客船が発着していたそうです。

マカオの旧埠頭「ポンテ16」1
新旧「ポンテ16」

その中の16番目、「十六號碼頭」を「PONTE16/ポンテ16」と呼びます。(読んだままですが)

長い間、埠頭としての機能を果たしていないようで
運輸会社と火鍋店、バイク屋が入居しているだけらしく
中は、ひっそりとして廃墟然と化しています。

マカオの旧埠頭「ポンテ16」2
ポンテ16内部。中には何もない

正面の時計塔(実は4面とも時計がある)は、長い間12時をさしたままです。

近い将来、前面の壁だけを残して、取り壊されてしまうそうですが
ランドマーク的な存在として、そのまま、保存、再利用されなかったのが残念です。

マカオの旧埠頭「ポンテ16」3

撮影しようと足を踏み入れたのですが、中に素性の悪そうな犬が2匹。
眠っていたので、かまわず撮影をしていると
突然、起き上がり、吼えながら猛烈に突進してくるではありませんか(汗)。
「やれやれ、またか!」(笑)と思いつつ、とりあえずフリーズ。
まったく動かない相手に、猛犬たちも対応に困ったようで
私の臭いをかいだ後、また元のポジションへ帰っていきました。

あとからやって来た、ここのおじさんに話を聞いたところ
この犬は、やはり「噛み付く」そうです(笑)。

撮影の際は、気をつけてくださいね。

マカオの旧埠頭「ポンテ16」4 マカオの旧埠頭「ポンテ16」5
新旧「ポンテ16」と新「ポンテ16」の「2期工事拡張予定」部分

マカオの街道案内
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